おとうさん

父親がお隠れになった。

今年の正月、両親と祖母のいる実家にコロナを持ち込むわけにはいかないと、具合が悪い的なことを言って帰らなかった(実際、本当に精神的に参っていた)。父の体調が芳しくないと聞いて、きょうだいが本州から家族連れで来たときは、何を考えてるんだと内心怒りもした。
結局、家族は誰も感染しなかった。ぼくが自ら、生前の父と会う機会を減らしただけだった。その結果が、自分の心に刃を向ける。おまえの取った行動は正しくなかったのだ、と。

葬儀社との打ち合わせと並行して、通夜と葬儀の広告を出す依頼も出した。コロナの情勢下、参列をご遠慮いただきたい旨の広告を追加で入れざるを得なかったが、その一文を乗せるだけのために1万円以上の追加出費があった。前々から死亡広告に添えられていたのを見てはいたけど、そこ金取るんだ経済の伝書鳩。紙面使わせてもらっといて何だけど、いい商売だと思った。
祭壇の正面。眠る父の横で、刷り上がったばかりの写真を見つめていた。何が起きているのか理解できているような顔をしている自分を、疑わずにいられない、奇妙な感覚だった。感傷みたいなものすら、いまひとつハッキリしない。息子に死なれた婆ちゃんを見るのはさすがに辛かったけど。
キャプテンサンタ、ポロ、沢山の服。大好きなタバコとウイスキー*1を持たせ、向こう側へと送り出した。その夜、久しく吸っていないタバコを買って、庭先で一緒に吸った。Dr.クマひげで見た光景*2だ。

祭壇の正面。小さくなった父の前で、また写真を見つめていた。横を向いても、もうベッドは無い。顔を見られるものは、もう写真しかない。
(ちょっとは落ち着いた?)
肉体が見えなくなったことで、区切りはついたかもしれない。
(どうだろ。わかんないや。)
肉体が見えなくなったことで、父親が消えていくことへの怯えが残った。
(この先ずっと、その曖昧な感覚を抱えていくんだろうな。きっと。)
(かもね。)

携帯電話の解約、クレジットカードの解約、サブスクの解約、DMの停止……気付いたところから順番に潰していく。父の部屋のテレビが夜な夜な勝手に点くと母親から相談を受け、午前3時にセットされていたオンタイマーを解除したりもした。母親は「そんなにテレビが見たいんだろうか」と言ってもいたけど、勝手にテレビがつくことは、もうない。
痕跡を消していくこと。それは、死亡届から始まる、残された人間に課された仕事だ。
死んだら終わり、ではないのだ。

*1:瓶は棺に入れられないので紙コップに注いで入れた

*2:コミックス3巻収録、第20話「再生」