ひとつずつ

先日隠れた父親の持ち物の処分などを手伝いに、週末のたび実家に帰っている。
テレビ以外の黒物家電をまったく触れない母親(スマホは現在進行形で何とか頑張っている)に代わり、それまで父親がやっていた家業の事務作業をやりつつ、年賀状の住所録打ち込みや、大量に出てきた古い電気製品の仕分けを進めている。古かったり壊れていたりして動かなくなったポータブルラジオ、ウォークマン、イヤホン、ガラケーの充電器などなど。エプソンやカシオのデジタルカメラも、なんとなくもったいなくて捨てられずにいたけど、電池を入れて動かしてみたらセンサーが死んでいたので、燃やさないゴミに出した。ものを捨てるというアクションに抵抗がなくなったわけではないけど、捨てる捨てないの判断は以前よりずっとスムーズにできるようになった気がする。
デジカメの中にはコンパクトフラッシュが入っていて、リーダーに差してみると、どこかの会合だったり、友達と飲みに行っているときの写真、先に虹の橋へ行った犬の写真が数十枚残っていた。データをパソコンに吸い出して、フォーマットの上、処分。被写体となっている父親の友達に渡してあげたいという母親のリクエストを受け、ローソンで印刷した。
よく片づけ本には「家族のものは捨てるな」などと書かれているけど、このへんの不用品を勝手に捨てても、文句を言う人はもういない。小さい頃に学んでこなかった身の回りの整理整頓を、ありがたく練習させてもらっている思いで、丁寧に処分していく。先は長い。
並行して、自宅の片づけも少しずつ進めていっている。週末というまとまった時間を実家で使っているから、自宅の方のペースは必然的にゆっくりになる。とはいえ、まとまった時間でまとまった作業が出来る気もしないので、これくらいがちょうどいいのだろう。

ものぐさはサビと同じで、労働よりもかえって消耗を早めるが、使っている鍵はいつも輝いている 2

olicht.hatenadiary.jp
大量に物を捨ててから1年が経ったが、十分に片付いたとは言えない。そして、それ以降何もしてこなかったのだから、部屋の状況はむしろ悪化しているようにも見える。もともと落ち込んでいた気持ちもますます沈んでいく。これは、片付けろのサインだ。
今回の課題は「習慣化」。溜まってきてからまとめて処理することが長年の癖になっているため、一つ一つの作業もなかなかの仕事量になる。まとめてドンと捨てることは、やった感もそれなりに大きいけれど、何もなくキレイな状態が続いているのと比べて、どちらが気分よく過ごせるだろう。動線上にモノがあるせいで、何度痛い目に遭っただろう。手つかずのまま眠っているものが、どれだけ家にあるのだろう。そう自分に言い聞かせる自分の背後から、ずいぶん程度の低い問い掛けだなと冷ややかに見る自分がいた。
習慣化のためのツールとして、仕事でぼちぼちやれているバレットジャーナルまがいのタスク管理をプライベートでも取り入れてみることにした。たまたまかわいくて使えそうなノートを見つけたので、良いタイミングだったと言い訳もできよう。

「セコマで卵を買う」と書いて、仕事帰りにセコマで卵を買った。「セコマの牛乳パックを交換」と書いて、ボックスティッシュを手に入れた。買ったきりで読んでいない本をまとめて資源ごみに出す準備。そんなバレットジャーナル初日。
いつまで続くかなと冷ややかに見ている自分をわからせたい。

おとうさん

父親がお隠れになった。

今年の正月、両親と祖母のいる実家にコロナを持ち込むわけにはいかないと、具合が悪い的なことを言って帰らなかった(実際、本当に精神的に参っていた)。父の体調が芳しくないと聞いて、きょうだいが本州から家族連れで来たときは、何を考えてるんだと内心怒りもした。
結局、家族は誰も感染しなかった。ぼくが自ら、生前の父と会う機会を減らしただけだった。その結果が、自分の心に刃を向ける。おまえの取った行動は正しくなかったのだ、と。

葬儀社との打ち合わせと並行して、通夜と葬儀の広告を出す依頼も出した。コロナの情勢下、参列をご遠慮いただきたい旨の広告を追加で入れざるを得なかったが、その一文を乗せるだけのために1万円以上の追加出費があった。前々から死亡広告に添えられていたのを見てはいたけど、そこ金取るんだ経済の伝書鳩。紙面使わせてもらっといて何だけど、いい商売だと思った。
祭壇の正面。眠る父の横で、刷り上がったばかりの写真を見つめていた。何が起きているのか理解できているような顔をしている自分を、疑わずにいられない、奇妙な感覚だった。感傷みたいなものすら、いまひとつハッキリしない。息子に死なれた婆ちゃんを見るのはさすがに辛かったけど。
キャプテンサンタ、ポロ、沢山の服。大好きなタバコとウイスキー*1を持たせ、向こう側へと送り出した。その夜、久しく吸っていないタバコを買って、庭先で一緒に吸った。Dr.クマひげで見た光景*2だ。

祭壇の正面。小さくなった父の前で、また写真を見つめていた。横を向いても、もうベッドは無い。顔を見られるものは、もう写真しかない。
(ちょっとは落ち着いた?)
肉体が見えなくなったことで、区切りはついたかもしれない。
(どうだろ。わかんないや。)
肉体が見えなくなったことで、父親が消えていくことへの怯えが残った。
(この先ずっと、その曖昧な感覚を抱えていくんだろうな。きっと。)
(かもね。)

携帯電話の解約、クレジットカードの解約、サブスクの解約、DMの停止……気付いたところから順番に潰していく。父の部屋のテレビが夜な夜な勝手に点くと母親から相談を受け、午前3時にセットされていたオンタイマーを解除したりもした。母親は「そんなにテレビが見たいんだろうか」と言ってもいたけど、勝手にテレビがつくことは、もうない。
痕跡を消していくこと。それは、死亡届から始まる、残された人間に課された仕事だ。
死んだら終わり、ではないのだ。

*1:瓶は棺に入れられないので紙コップに注いで入れた

*2:コミックス3巻収録、第20話「再生」

命を燃やすものはあるか

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準備は整った(※買ってきたのは開幕後)

RTA in Japan Summer 2021開幕。
RTAを見て、ごはんを食べて、仮眠して、チルアウト風の曲に挑戦して、RTAちゃんのイラストを描いていたら、あっという間に5日が経過してしまった。その5日間で感じたことをまとめました。ゲームごとの感想はないです。

寄付のこと

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寄付によせたコメント

今回の「RTA in Japan Summer 2021」から、国境なき医師団NPO法人国境なき医師団日本)への直接寄付がPayPal決済で可能になった。「RTA in Japan視聴者としての寄付」と「贈与税によるロスが発生しない寄付*1」を同時に実現し、集まった寄付額がリアルタイムで本放送の画面に表示される(そしてアーカイブにも残る)という、海外のRTAイベントのような仕組みも実装された。
チャリティーイベントとしてのRiJは、2018年12月の「RTA in Japan 3」のチャリティーグッズから始まったと見ることができるだろうか。費用前払いで製作したアクリルキーホルダーなどを会場で手売りして、収支ゼロになるよう売上を寄付していたそうだ。
しばらくして、2020年夏からは、無敵時間さんの協賛により、グッズの種類と数が一気に増えた。遠方に住む自分にとっては、通販で入手できることが何より嬉しく、今日に至るまで何度も利用させていただいている(ありがとうございます!)
RTAイベントの会場が、無敵時間コラボTシャツを着た人でいっぱいになる様子を是非見てみたい。しかし、協賛が始まった「RTA in Japan 2020 Online」以降、新型コロナウイルスのせいで、まだ会場を借りてのオフライン開催は出来ていない。一日も早く、オフライン開催が可能な状況になって欲しいと、思いを強くした。

カップヌードルのこと

値上げするにつれ、次第に安い袋麺を買うようになっていった即席麺。今回の日清食品の協賛を機に、主に写真投稿のためにカップヌードルを買ってみた。
デモンズブレイゾンRTAを見終わった後、1つめを食べた。ちょうどレッドシーフードヌードルを買ってきていたので、せっかくだからこのタイミングで食べてみた。味は辛めだけど、覚えていた通りのシーフードヌードルの味だった。
全部で3個買ってきたカップヌードルは、なんだかんだで開催期間中に全部食べてしまった。しばらく食べていなかったけど、カレーもしょうゆも、美味しさは変わっていない。
せっかく協賛いただいたのだし、協賛してよかったと思ってもらえるよう、積極的に買っていこう……と思い、カップヌードルPROを箱で注文した。
ちなみに、ここしばらくのお気に入りは、冷食の汁なし担々麺。ティモンディがCMキャラクターになるよりも前から冷凍庫に常時ストックしている。

サクラチルビーツのこと

今回、スタンバイ中のアニメーションと音楽を担当したのはSakura Chill Beatsさん。今までゲームの曲だったものが、打って変わって落ち着いたLo-Fiミュージックになったのは、とても新鮮だった。熱狂の合間に落とされた一滴の清涼剤が、耳を伝って、心を潤す。
特に刺さった数曲を繰り返し聴いて、そのリズムに、自分が過去に作った曲のフレーズを混ぜてみたりして遊んでみた。音楽ってよいなぁ、楽しいなぁと、ごくごくプリミティブなことを思った。
納内れおさんのLive2Dアニメーションも毎回楽しみにしていたので、それが見られないことを残念に思う気持ちも半分ある。だけど、新しい出会いは、新しい世界を見せてくれた。

無敵時間さん!?のこと

「寄付のこと」にてあらかた書いてしまったので、あらためてセクションを設けて個人的な謝辞を。
無敵時間さんの協賛のおかげで、北海道の田舎でもRiJグッズを入手できるようになったこと、本当に有り難く思っています。イベント時のオタクウェアとして、部屋着として、ワークアウトウェアとして使わせていただきます。
そう遠くない未来、オフラインRTAイベントの会場が無敵時間さんのTシャツを着た人で埋め尽くされる日が来ますように。これは、まめな手洗い・感染症対策を遂行する動機のひとつとなっています。間違いなく。
今や、無敵時間は与えられるだけでなく、みずから求め、掴み取りに行ける時代……かも。

RTAちゃんのこと

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松本亨の株式必勝学風 #RTAちゃん可愛い

かわいい。

RTAのこと

何か走ってみたくなったので機材を漁り中……

*1:PayPalの利用手数料が引かれているかどうかは不明

Gadget x Budget

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無敵時間さん!?

注文していたRTA in Japan Summer 2021のチャリティーグッズが無敵時間さんから届いた。ロゴ入り真空断熱タンブラー、フード付きTシャツ、そしてステッカーセット。
その無敵時間Tシャツを着て、2回目の新型コロナウイルスのワクチン接種へ行ってきた。
自分の周囲がはしゃいでいたような副反応の類は、痛くて腕が上がらないことも、高熱が出てしんどいことも無かった。それは、実際しんどくなかっただけでなく、暑くてそれどころじゃなかったというのが大きいかもしれない。
家にはエアコンが無く、室温は午前中から34度にもなった。首に巻くタイプのアイスノンが2時間足らずで常温に戻り、氷が解けにくいと評判のタンブラーの氷もガンガン解け、アイスノンや氷の冷凍が追いつかない。扇風機の風も、吸う息もぬるい。そんな状況下で2日も3日も家にこもりっぱなしというしんどさは、副反応の比ではなかったといえる。
これを乗り切った今、気持ちはRTA in Japanの視聴に向いている。年末から8ヶ月、その間も様々なスピードランイベントが行われてきたけど、RiJは自分にとっては特別。RTAちゃん可愛い。
今年もファンアート描けるかな。

ほことたて

6月初旬。
東京オリンピックの開催をさらに延期して、緊急事態宣言と休業補償・給付金で人の移動を抑える。そうすれば、ワクチンの接種を進める時間を稼げる。ついでに涼しい気候の中で競技が出来るようになる。
いいことしかないのでは……いやいやそんな単純にいくはずがないだろうと、関係各所の負担を考えろと、方々からの突っ込みに脅えながら、素人は考えた。開会式が終わり、競技が本格的に開始(はじ)まっちゃった今も、その考えは変わらない。
開会式も、日本じゃないどこかの国での出来事のようだったなぁと振り返りながら、思いっきり大國魂神社の境内を走る自転車を見ている。
感染拡大がひどくなるようなら、一時的な中断が出来るような備えはしているんだろうか。それにしても暑そうだなぁと思いながら、スケートボードの決勝を見ている。
東京都の月曜日の感染者数と、医療従事者の嘆きのツイートと、河川敷で集団バーベキューをする様子を見たその目で、卓球ミックスの決勝を見ている。
彼方を立てれば此方が立たず。メイチで仕上げてきたアスリート、出資している企業の人、通勤で公共交通機関を使う人、お店を経営している人、複数人で飲むのが好きな人、実家に帰りたい人、保健所の人、医療現場で戦う人……思いつく限りの立場に思いを巡らせた。結果、懸念を抱きながらテレビ観戦という、矛盾したことをしている。
好意的なコメントは政治に利用されるだけだから、言わない。祝うということは肯定すること。ガッチリ但し書きをつけたところで、上澄みの「あり」の部分だけが掬い取られてしまう。
最低限外に出て、家にこもる。自分で考えて、ドネーションをする。自分に出来ることはこれしかない。
早く全日程終わってしまえ。感染拡大を抑えて無事に終われるといいね。

日常・フック・ストレート

疲労回復には軽い運動がよい、という話を今までに何度か目にしたことがある。つい最近だと「スタンフォード式 疲れない体」で読んだ。
軽い運動、有酸素運動といえば、うちにはフィットボクシングがある。2も買ったけれど、なかなか手が伸びなくなってしまったなぁというタイミングだったので、久しぶりにやる気になった。
暑い日に室内で動く。べしゃべしゃのTシャツ。増える洗濯物。冷たいシャワー。フル稼働の除湿機。久しぶりに気分がよくなった。
オードリー若林さんは、著書に「ネガティブを潰すのはポジティブではない。​没頭だ。」と残している。
去年「トレッドミルに慣れ、走りながら考え事が出来るようになった」と書いた。でも、何かしながら考え事をしてもなぁ……と、今は思う。ここのところ、何をするにも、余計な心配が次から次へと頭の中に湧いてくる。ゆえに、没頭という境地へはなかなか至れていない。
リズムに合わせて体を動かすゲームなら、目も耳も手足も、スコアという目標に支配されていられるかも。
また頑張ってみよう。明夫も励ましてくれる。