ひとつずつ

先日隠れた父親の持ち物の処分などを手伝いに、週末のたび実家に帰っている。
テレビ以外の黒物家電をまったく触れない母親(スマホは現在進行形で何とか頑張っている)に代わり、それまで父親がやっていた家業の事務作業をやりつつ、年賀状の住所録打ち込みや、大量に出てきた古い電気製品の仕分けを進めている。古かったり壊れていたりして動かなくなったポータブルラジオ、ウォークマン、イヤホン、ガラケーの充電器などなど。エプソンやカシオのデジタルカメラも、なんとなくもったいなくて捨てられずにいたけど、電池を入れて動かしてみたらセンサーが死んでいたので、燃やさないゴミに出した。ものを捨てるというアクションに抵抗がなくなったわけではないけど、捨てる捨てないの判断は以前よりずっとスムーズにできるようになった気がする。
デジカメの中にはコンパクトフラッシュが入っていて、リーダーに差してみると、どこかの会合だったり、友達と飲みに行っているときの写真、先に虹の橋へ行った犬の写真が数十枚残っていた。データをパソコンに吸い出して、フォーマットの上、処分。被写体となっている父親の友達に渡してあげたいという母親のリクエストを受け、ローソンで印刷した。
よく片づけ本には「家族のものは捨てるな」などと書かれているけど、このへんの不用品を勝手に捨てても、文句を言う人はもういない。小さい頃に学んでこなかった身の回りの整理整頓を、ありがたく練習させてもらっている思いで、丁寧に処分していく。先は長い。
並行して、自宅の片づけも少しずつ進めていっている。週末というまとまった時間を実家で使っているから、自宅の方のペースは必然的にゆっくりになる。とはいえ、まとまった時間でまとまった作業が出来る気もしないので、これくらいがちょうどいいのだろう。